ジャズとクラシック音楽日記

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<<   作成日時 : 2007/07/07 17:00   >>

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十数年ぶりに京都に行ってきた。1泊2日と短い間だったが、店の情報収集と勉強の主目的以外でも収穫の多い時間だった。

1日目は覚悟はしていたが夕方まで結構な雨。宿での夕食が済んだら雨が上がったので、夜の京都に繰り出してみることにした。その昔、寺町京極に何とか言うショットバーがあったと記憶していたので、宿の人に聞いたら「きっとそれは「サンボワ」でしょう、まだありますよ」とのこと。宿の人が確認の電話を「サンボワ」に入れてくれたらしく「あいにく今日は臨時休業らしいです」といわれた。残念。

「それでは「ブルーノート」はまだ在りますか」と聞いたところ、「京都に「ブルーノート」はありません(キッパリ!)」といわれてしまった。めげずに夜の街に繰り出した。京都の夜はほとんど30年ぶり。どうなっているだろう。

宿が河原町御池の近くだったので、南へ下っていき、寺町京極と新京極を縫いながら四条まで下り、四条を東へ行って今度は先斗町(ぽんとちょう)をまっすぐ上がって突き当たりを右へ折れて鴨川のほとりでしばし休憩。その昔クラブのコンパの後、友人との飲み会のあと、彼女との・・・、ここには色々お世話になった。と、感慨にひたってしまった。それにしても雨の後だったのでものすごい濁流だった。

その後、河原町に出て南に下る。昔「ブルーノート」があった辺りはどうなっているのだろうと思い、昔の記憶を頼りに「BALビル」の手前を東に入る。「BALビル」の先にな、な、なんと在るじゃないですか「ブルーノート」。ちょっと感動。おそるおそるドアを開ける。

そこは30数年前と変わらぬたたずまい。奥のライブスペース。湾曲したピアノの鍵盤模様のカウンター。さすがに鍵盤の黒鍵がだいぶすれていた。それでも30数年前と変わっていないとは。店があっただけでも感動ものなのに。

マスターはさすがに変わっていたが、私より3才年長で私が学生時代つきあっていたジャズ仲間の多くを知っておられ、共通の知人の話で盛り上がってしまった。宿の門限ギリギリまで居た。宿に「ブルーノート」が健在だった証拠を見せるため、コースターとマッチをもらい、コンデジで看板の写真を撮った。
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コメント(32件)

内 容 ニックネーム/日時
訪れる者にとっては、昔の姿が、健在であることに、これ以上の喜びはないと思います。
かつて、1978年代から、数年、此処へは足を伸ばしています。
jazzの心地よさ、やるせなさ、を知ったのは河原町ブルーノートです。
ほぼ、30年の記憶を蘇らせて、今はジムホールの「アランフェス協奏曲」をいま聴きながら、眠りに付くところです。
mamten
2008/01/07 02:30
mamtenさんコメントありがとうございます。私が京都にいたのは1971年から1976年までの5年間ですので、私が卒業してしばらくして行かれるようになったのですね。
当時私は学校に近い百万遍の近くのアパートに住んでいましたので、普段はその近くのジャズ喫茶に通っていました。ブルーノートは当時の私にとってはちょっと敷居が高く、そんなには行っていません。ただ、私が行っていた近くのジャズ喫茶の常連客はまたブルーノートにもよく行っていたようで、ブルーノートのマスターが私が写真部であることを聞いてスイングジャーナルのジャズ喫茶紹介欄に載せる写真を頼まれたことがあります。

そのときは鍵盤模様のカウンターに上ってライブ演奏を撮影しました。バイト代はかなり安かったと記憶しますが、とてもいい思い出になっています。

当時は私はとにかくピアノが好きで、バドパウエルとセロニアスモンクを中心に聴いていました。たった今聴いているのはビルエバンスとジムホールの「アンダーカレント」。

またコメント下さい。お待ちしています。もしブログ開いているのならお邪魔させて下さい。
インキーパー
2008/01/13 16:55
眠気に負け、自分のname が1字抜けていました。正しくはmamatenです。
ブルーノートは、学生の私達には、実際仲々通える場所ではなく、一年2〜3回行ければればいい方でした。78年から81年に掛けて、何度か行きました。ここに最初に行ったった時は驚きでした。初めての経験でしたから。

それ以来、何度か足を運びましたが、いつも新鮮な感動でした。
多くは銀閣寺道界隈の、ライブハウスとかが結構多かったけど。
今はないかもしれません。その後行ってないので。

どうしようもないおばさんが、徒然にブログ始めまてます。気が向いたらお立ち寄りください。
mamaten
2008/01/14 01:50
失礼しました。
mamaten.exblog.jpです。お暇な時に、お運びを。
mamaten
2008/01/14 01:52
当時、女子学生がブルーノートやライブハウスに行くって結構先進的ではなかったのでしょうか。mamatenさんの個人史にかなり興味があります。mamatenさんのブログにでも是非アップして下さい。もしくは私のブログにメッセージを入れていただくとか。
インキーパー
2008/01/15 13:10
ブルーノート、周りで知っている人は殆どいません。N.YのそれはガイドブックやCMで知っていても、京都に在るのを知る人は少ないと思います。当時も話しできる相手がいなくて、つまらなかったのを覚えています。

当時はフォークが全盛で、皆がギター抱える頃になると、あっさりと弾くのは止め、クラブの昇格にも貢献したので、その世界から遠ざかっていきました。受験もあったし。(大して勉強しなかったですが。)特に先進的、と言う事もなかったと思いますが、もともと好きだったバロックやP.フロイドに還っていったと言う事でしょうか。皆と同じが、嫌だったのかもしれないし、異常に盛り上がっていたフォーク全盛に乗り切れなかったためかもしれません。
その後出会った人の影響がなかったら、私もブルーノートは知らなかったと思います。ごくごく、一般的な学生だったと思っているのですが。ある一点を除けば。
mamaten
2008/01/15 22:48
ある一点を除けばって、そんな思わせぶりな言葉で終わんないで下さい。知りたくなるじゃないですか。ここでオープンに出来なければメールにして下さい、メールに。mi-zu-no@mxa.mesh.ne.jpです。BIGLOBEのブログにはメッセージと言う機能があって他人に知られたくない内容はメッセージに入れることが出来ますが、どうもBIGLOBEの会員のみかもしれません。もしうまくいけばそちらのほうがmamatenさんのアドレスなどをこちらに知られないで済みます。このページの一番上にあるトップをクリックしてトップページのサイドバーの真ん中辺りにメッセージを送るボタンがありますので試してみて下さい。
インキーパー
2008/01/16 14:48
mamatenさん。もう一つ方法がありました。私が開いているもう一つのブログに非公開のコメントを入れていただくというのはどうでしょうか。mamatenさんと同じエキサイトです。http://tachibanap.exblog.jp/ まだ本格始動していませんが、近いうちに写真をアップしていく予定です。
インキーパー
2008/01/16 14:59
韻を残した言葉で終ってしまい、おっしゃるとおり、思わせぶりでしたね。謝ります。

特別変人だとか、奇妙な癖があるとか、打ち出の小槌のような隠し球があるわけではありません。期待させてすみません。そんなに興味をもたれても、インキーパーさん程の方ににとっては、ごくごく当たり前の次元の話でと思います。ただ、当時私の周りには理解してくれる人は少なく、「変っている」と言われてました。概ね、考え方に対する、見解の違いです。それだけです。
mamaten
2008/01/16 18:15
「変わっている」って言うのはほぼ「変人」ってことでしょ。そう言われるのは私にとっては結構ほめ言葉です。mamatenさんにとってはどうだったのでしょうか。きっとあまり気にならなかったのではないでしょうか。察するにmamatenさんってなんとなく結構独立独歩のような気がします。勝手な思い込みですが。ひょっとしてAB型?

「その後出会った人」についても知りたいですね。私である可能性は皆無なので安心して聞けます。
インキーパー
2008/01/17 00:23
インキーパーさんの、ブルーノートの書き込みに対して、ほぼ個人的に使用しているようで、気が惹ける部分も在ります。

↑のコメントに関しては、独立独歩、と言うのは当たっているかもしれませんね。血液型は、A型。ただ、O型も持つ、およそA型には当てはまらない、それです。
mamaten
2008/01/17 00:38
>ほぼ個人的に使用しているようで
全くかまいません。大歓迎です。私のブログはmamatenさんのそれと違って人気(ひとけ、にんきと読んでもいいけどそれだとちょっとつらい)の少ないブログですので、コメント頂くのはありがたく、励みになります。

ちなみに私はAB型です。20歳の娘も雰囲気から言ってAB型と思いますが、未だに不明です。
インキーパー
2008/01/17 22:33
お言葉に甘えて   何故か此処だけhotな感じですね。
私のブログも、特に手を広げていませんので、訪問先も回数も余り多くありませんが、何となく皆さんが来てくれてます。似たもの同士が集まる感じでしょうか。

私の父はO型RH-なので、私は違いますが、子供達が生まれた時、一番先に確かめました。全員+でしたけど。  私は血液型の特性とか、余り信じなかったのですが、ある程度は当てはまりますね。私のA型は、家族全員、違う!と言います。嬉しいような、悲しいような。複雑ですね。
mamaten
2008/01/17 23:06

まあ、前のものまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
この件に関しては、事情は家族の、特に、両親は薄々感じていたと思います。半ば強引な結果になりましたので。
それから、このブログは私以外誰も知りません。誰にも言ってないし、基本的にmyパソなので、家族用にはゲストでログインさせてます。

私の、ただ1つの、は、ここにも書いている通り、恋愛が出来なかった、と言う事に尽きます。単純な理由です。訳はありますが。

奥様に言ってあげてください。きっと喜びますよ。

ヒヨコさんにレスしてないことに今、気が付きました。すぐにヒヨコさんのHPに飛んだので、うっかりしてました。これからメール、入れときます。

非公開と言う事を知らずにレスしてしまったので、一度は私のブログにレス入れましたが、削除して、こちらへコピーしました。
mamaten
2008/01/18 01:16
早速のレスポンスありがとうございます。結構遅くまで起きていらっしゃるのですね。

「訳はありますが」ってまたまた思わせぶりな。早く明らかにして下さい。そうじゃないと今晩眠れない鴨。

>奥様に言ってあげてください。きっと喜びますよ。
言葉にしなければ分からないことってとても多いと思います。でも「好きだよ」とか「愛してるよ」とかこの20数年間多分一度も言ったことがないことを唐突に言ったりしたら「あなたどうしたの?熱があるんじゃないの?」なんていわれそうですね。内心喜んではくれるかもしれませんが。う〜ん、やっぱ今更言えないような。
インキーパー
2008/01/18 09:19
私も1971年から1977年まで学生時代と勤務を1年あまり・・
数年前、ブルーノートが健在なのは確認ました。

百万編のそば、田中関田町、東一条に住んでたことがあるので、
お近くだったようですね〜

懐古趣味のようですが、
ここ数年、関西にいくと、京都時代の
足跡をたどっている私です。

クラッシック喫茶の「柳月堂」「ミューズ」もありましたよ。

タヨシさん
2009/01/19 10:57
タヨシさんさんコメントありがとうございます。

私が京都にいたのは1971年から1976年までの5年間ですのでタヨシさんさんとほとんどダブっていますね。
また、私は大学に入って1年間は東伊織町(バス停は上終町)に住んでいましたが、そのあとは京大農学部の北、田中西樋ノ口町に4年ほど住んでいました。そちらが田中関田町なら東大路を挟んではいますが、結構近くに住んでいたのですね。
ひょっとしたらどこかで出会っていたかも。

私のアパートのすぐ近くに夕方から深夜までやってるちっちゃなジャズ喫茶があって結構入り浸っていました。「リンジー」というニックネームの人がやっている店でしたが、店の名前は忘れました。ご存じないですよね。
インキーパー
2009/01/19 12:06
(500文字を超えたため前コメントから続き)
当時はクラシックはそんなに聴いていなかったし聴くジャンルも偏っていたので(それは今もそう)、クラシック喫茶にはあまり行った記憶はありません。でも「ミューズ」には何回か行った記憶があります。ジャズ喫茶とは全く違った雰囲気(清潔、上品、静謐、明るい)であまりなじめなかったような...。なので自分一人で行くということはなく、女の子に引っ張られて渋々行くっていう感じでした。ひょっとしたら当時の学生の一つのステイタスだったのかもしれませんね。

「柳月堂」という店は恥ずかしながら全く知りませんでした。ていうか記憶にありません。今ネットで見たら結構有名な店のようですね。タヨシさんさんのかつての住まいにも近いようだし、結構行かれていたのでしょうか。
インキーパー
2009/01/19 12:09
こんばんはぁ〜

「柳月堂」は出町柳の駅の真ん前にあり、今も健在です。
その隣には、「かみ家」というレストランもあって、
ちょくちょく食事しました。

2年前、鞍馬まで行ってきましたが、京福電車も様変わりしてびっくりでした。
喫茶店は、いろんなところを、けっこう、通ってました。

北白川の地名も懐かしいです。
勤めた時のアパートはたしか、東伊織町です。
2年前だか、奈良の友人いわく、今もそのアパートは残ってましてね
雑誌にも載り、私のために買っておいてくれてました。
淚が出るくらい、懐かしかった。
古くて、ぼろぼろなんだけど、レトロな魅力があったところです。

タヨシさん
2009/01/24 00:08
<続>
樋ノ口町、もう、記憶から切りとられてしまった地名でしたが
あなたによって蘇りましたよ。
確かに、小さな、ジャズ喫茶があったような・・
酔っぱらって入って行ったかもしれない。
浪人してた友人のAPの傍だったかもしれない。
店の名前はわからない。
「エルム」という普通の喫茶店の裏には、一時居候してましたけど。

じゃ、やっぱり「天下一」のラーメンは、白川通りの屋台で食べましたか??
あの、屋台からの出発が大きくなってびっくりですが、
ラーメン道の走りみたいなものだったのでしょうか??

話は尽きませんね・・
では、今夜はこれで・・
タヨシさん
2009/01/24 00:09
「天下一」という名前はよく覚えていませんが、白川通りの北大路通りがぶつかったところからほんのちょっと下がったところに屋台があって深夜に何回か食べに行ったのは覚えています。おそらくそこのことかもしれませんね。

ここも私一人で行ったことはなく、友人に引っ張られていったので、店の名前は知りませんでした。当時から有名ではあったようですが、大きくなっちゃったのですね。

ちなみに私の最初の東伊織町アパートは上終町のバス停から一筋西に入って一筋北へ上がった北西の角にありました。ご主人がバラが趣味で、たくさんのバラを庭に植えて毎年デパートの品評会に出されていたようです。我々はバラの館と呼んでいました。奥さんは同じアパートの人間の話だと花街の出身だとか。今どうされているのでしょう。

そういえば近くに菊の館もあって、庭にたくさんの菊が植えてありました。
インキーパー
2009/02/04 00:57
天下一品というラーメン屋さんは、一乗寺までは行かずに
柿ノ本町という地名だったかどうか・・

そんな京都の話も出ないところに住んでいますので
すっかり遠い記憶になってしまいました。

私の住んでた伊織町のAPは、バラは、およそ似つかわしくありません。
真中が吹き抜けになっていて空が見えて、階段を上ると
共有の物干場でした。トイレも洗濯機も共有。
台所は部屋についてて7畳くらいの部屋でした。
でも畳1畳のベッドはついてて不思議な部屋でした。
家賃が幾らだったのか・・
そのころ、寝坊すると、山科までタクシーを拾い、出勤したりと
今思えば、独身の優雅、かつ、きままな生活でした。
タヨシさん
2009/02/07 22:50
タヨシさんは勤めも京都だったのですね。
それでは京都には結構長くいらっしゃったのでしょう。
私の就職先は東京だったので、京都にいたのは5年間だけです。
でも京都の5年間はタヨシさんと同じく本当に優雅、
かつ、気ままな生活でした。
インキーパー
2009/02/09 09:25
勤めは1年だけなので、結局、京都の生活は5年だけ・・

やっぱり、学生時代は良かったね。
そして、京都は、学生が暮らすにはもってこいで・・

東京は、遊びにいくくらいで住んだことがない。
ほんと都会って感じですね。
でも、私なんか都会の孤独に陥ってしまいそう

京都は両方あって楽しかったな。
タヨシさん
2009/02/09 23:34
京都は学生が住むにはいいが、仕事をするにはなかなか厳しいところと聞きました。
旧来の取引を大事にするために、新参者が入ってもなかなか受け入れてもらえないと聞きましたが、タヨシさんはいかがだったでしょうか。

東京には10年いましたが、仕事が忙しくてあまり遊んだ記憶はありません。
とはいっても最初の数年は代官山の安アパートに住んでいましたので、会社の帰りに渋谷で同僚と終電過ぎまで飲んで、歩いて帰ったりはしてましたね。

孤独を感じる暇はなかったような気がします。
インキーパー
2009/02/13 00:37
確かに京都は学生という身分で暮らすにはいいけど
生活していくとなると、なかなか、排他的な街であるようには聞いています。
大阪のようなきさくで庶民的というのともちょっと違う・・

山科から乗り換えて膳所に勤務してましたが
職場ではみんなに、よくしてもらいました。
根をはって生活となるとどうでしょうか??

学生時代を京都で一緒に過ごした友人夫婦が
大阪勤務で奈良に住んでますが、
あと、5,6年して定年になったら、故郷へ帰ると言います。
どうして??って聞いたら、年とってまで、ここにいたくないと言うんです。
やっぱり、そうなのかなぁ・・

仕事で忙しいと孤独を感じる暇など、確かにないですね。
タヨシさん
2009/02/13 22:07
河原町の「ブルーノート」は高3から大学時代、通った店でした。
トシがばれるが1970年前後。かの「おシシ」ママもド迫力、絶好調だった。最初は狭くてライブはやってなかったが、ちょと拡張してから始めたのじゃなかったかと。
すっかり忘れていましたが、代替わりしても、この店まだ生き延びてるのは最近知りました。懐かしい。
謎の日本人
2009/02/27 01:50
こんにちわ、好きな話題なもので、ちょっとお邪魔します。
このページに出ているブルーノートのある建物の突き当たりにはハードロックのポパイがあって、いつも外まで大音響が聞こえていました。ロック系ライブでは拾得とか、ほんやら胴とか、、、、昔の京都には個性的な店がありましたねえ。ジャズではブルーノートのほかにも同志社裏の隠れ家的、SMスポットとか、モヒカンカットのマスターがやってた、シロハウスとかもありました。全部は行ってないですが、ほかにもたくさんジャズ喫茶があった。

これらの店のマッチ集めてた方もいます、
http://kitan.semana.co.jp/jazzmach/kyoto/kyoto.html
偉い。
古い京都人
2009/03/04 00:05
タヨシさん、レス遅くなりました。
京都では時々政権が変わっていたようですが、変わってもうまく処世できるようあまり本心を出さないような気質になったと聞いたことがあります。
たとえば客人にそろそろ帰ってほしい時に「ぶぶ漬けでもいかがどす?」というような。
私の東京時代の友人に京都人がいますが、彼女は全くそんな感じはなく、結構直截的でした。しかし、本人いわく「私は地元では変わり者」だったそうです。きっと京都人気質がいやで東京に出てきたのかも。でもお琴の先生なんですけどね(^^ゞ。
インキーパー
2009/03/07 11:32
謎の日本人さんこんにちは。
高3からということは京都の方でしょうか?
今しがた京都人の悪口を散々言ってしまいました<m(__)m>。
でも私自身は京都で嫌な思いをしたことは全くありません。
少なくとも学生の私にとってはとても過ごしやすい都市でした。

私が大学に入学したのが1971年ですので謎の日本人さんとほぼ同年代か私が少し下でしょうか。

「おシシ」ママは私よく思い出せません。どのような方だったでしょうか。当時のJazz仲間とは全く音信不通状態なので聞きようもありません。

ライブスペースが増設されたのは覚えています。当時、しばらくぶりに行ったらいきなり奥が広がっているのにびっくりしました。

私も30数年ぶりに行ってまさかまだ残っているとは思いませんでした。(BALビルも!)しかも当時とほぼ同じ状態で。代替わりしたとはいえ今の店主も話しぶりからいっておそらく当時の常連客?謎の日本人さんが今行かれても当時の話で十分盛り上がれると思いますよ。きっと顔見知りかも。
インキーパー
2009/03/07 12:36
古い京都人さんこんにちは。ひょっとして古い京都人さんも京都人?
だったら先ほどの失言にまた謝らなくてはなりませんね<m(__)m>

「ポパイ」!ロックハウスがあったのは覚えていますが、名前を失念していました。ありましたありました。ていうかひょっとしたらブルーノートより回数行ったかも。拾得、ほんやら洞、本当に懐かしい名前です。

あと超有名どころで「シャンクレール」という店もありましたよね。確か「思案暮れる」から命名したとか。私がその店を知ったのは有名になってから後で、今行っても超満員であまり楽しめないとJazz仲間に言われ、結局1回も行っていません。確か「二十歳の原点」か何かに出てた?

いやぁ〜あの頃はよかった。
インキーパー
2009/03/07 13:09
まぁ、なんて懐かしい店の名前が続々登場なんでしょ〜

私も京都入りしたのは、1971年ですから・・
とりあえず、現役で入学できたところへ入りましたので。

Balビル、しあんくれーる、ほんやら洞、じゅっとく・・

でも、私が本拠にしてたのは、同志社、相国寺を曲がったところの
「ローレン」という茶店。ジャズとは言わず、いろんな曲を流すお店でしたが、小さいけど、いつも、お茶してはだべり。。
高倉健、鶴田浩二や藤純子のポスターが貼ってあり、
ジュークボックスというものが・・・

ヤマト屋っていうジャズ喫茶もありましたね。
四条河原町を下って松原あたりにも「ジェル」だったか、もう記憶が定かでないけど小さなジャズ喫茶が・・

たまには、ブルーノートのあの鍵盤のカウンターで飲みながらジャズを聴き、
いつもは、小さなジャズ喫茶やロック喫茶に通ってました。
バイトはクラシックですが・・・

40年たっても健在な店があってほしいですね
タヨシさん
2009/03/11 11:19

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ジャズ喫茶「ブルーノート」 ジャズとクラシック音楽日記/BIGLOBEウェブリブログ
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